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仙台ミュージカルアカデミー 地主幹夫 第2回音楽旅行記 会津日新館を訪ねて

仙台ミュージカルアカデミー 地主幹夫 第2回音楽旅行記 会津日新館を訪ねて

音楽の研究から出発して、とうとう歴史研究にまで踏み込んでしまいました。明治維新の解明が必要となる中で、幕末から明治の文化の移行の問題の解明が必要になってきました。幕末から明治への以降の中で、明治の教育や文化が外国から移入される形で構築されていくときに、明治以前の文化や教育は、身分制度を引き継ぐものとして完全に否定され、受け継がれなかったことが原因としてありました。会津日新館のレベルの高さを垣間見た時、明治の教育文化が外国からの移入されたものの、西欧文化の深い内容まではきちんと咀嚼できなかったことが原因であることもわかりました。幕末と明治は教育、文化が完全に切り離され、以前のものがどれほど質的に高くても否定されたことが原因であることもわかりました。
 明治時代の教育に唱歌が取り入れられたのは、なんと明治の後半1900年頃、明治39年であったことが明らかになりました。音楽における平均律の考え方は、内容が国民に徹底されることなく、今に至っていると言うこのともこの事実を通しても明らかになりました。
 会津日本の進館への旅は、幕末における日本の教育水準の高さと、会津藩士の行動における日本の魂の素晴らしさを、鮮やかに照らしだし、明らかにすることになりました。
歴史解明治を通して、明治以降の日本の音楽の流れを知ることができたのでした。

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