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秘境の洞穴にある原始的な神社 ー 多祁伊奈太伎佐耶布都神社 #神社 #パワースポット

秘境の洞穴にある原始的な神社 ー 多祁伊奈太伎佐耶布都神社 #神社 #パワースポット

広島県福山市山野町にある多祁伊奈太伎佐耶布都神社

【式内社:多祁伊奈太岐佐耶布都神社】
【岩穴宮、岩屋権現】
また、原谷(この地名)の権現さんとも呼ばれている。

【ご祭神:下道国造兄彦命】
高梁川より西の小田川流域地方の古い地名と思われる「川嶋縣」の国造りをされた神、下道臣の祖。

【ご祭神:大穴牟遅命】
大国主命の御名で、大己貴命とも書く。
当神社の古い文書に大穴母智命とも書いたものもある。

【赤濱宮:伊奈多宿祢命】
向って左のお社にお祀りしてあります。
神社のご由緒:第二十一代雄略天皇の御代のご鎮座と伝えられ「日本三代実録」という古い歴史書に「備後の国、多祁伊奈太岐佐耶布都神社、従五位下を授く」とあり、千五百年にも及ぶ古い由緒の神社で、延喜式神名帳に記され、祈年祭というお祭には、国から奉幣(供物)があった神社です。
権現信仰や神社名の長いこと、また神主家の変遷や火災などによってか、式内社であることが、分からなくなりましたが、明治時代となる直前に式内社として改めて確認され、阿部正桓藩知事が参詣され多種の武具や幕が奉納されました。
大石灰岩の洞窟の神さびたご神域は、広島県天然記念物に指定され、学術的価値も高く、洞内は夏は涼しく冬は暖く流れ出る清水と共に参拝すると身心のやすらぎを覚えます。
現在の社殿は相殿造のようになっていますが、向って右のお社が当神社で少し大きく左のお社は赤濱宮で少し小さく建立してあります。

【例祭日:夏祭:七月十九日、秋祭:十一月三日】

【ご祭神、下道国造兄彦命について】
日本書記巻十に「第十五代応神天皇の御代二十二年九月、天皇が淡路から吉備の小豆島へさらに葦守宮に遊び給うたとき、御友別という者が参り一族こぞっておもてなしをしたので、天皇は非常に悦ばれ、吉備国の中の川嶋縣という所を長子(長男)の稲速別に事依す是は下道臣の始の祖なり」と書いてあります。この稲速別という御方が当神社のご祭神であり、下道国造兄彦の御名は尊号で、命の国造りのご遺徳を賛えてお祀り申しあげたのではないかと思われます。
日本の津々浦々の大小の神社は共通のご祭神であるお社が多いのですが、当神社のご祭神をお祀りした神社は見当りません。明治時代になって、地区内の天王社他のお社の神々を、当神社へ合祀しましたので、それ以後、当神社を紹介した文書には、素盞嗚尊、奇稲田媛などの神々をお祀りしてあるようになっていますが、これは、この合祀によってつい誤りが生じたものと推定されます。式内社として再確認される前後、ご祭神二座のうち、いずれの御神が主神であるか調査報告するようにとの通達に下道国造兄彦命が主神であると報告されており掲示の神がご祭神です。
(追記)岡山県矢掛町の町はずれに、下道氏の墓というのがあり、史蹟公園となり、真備公という方の顕彰石碑が、矢掛町により建てられています。
[参道入口案内板より引用]

【岩穴宮、(天然記念物巨大礫)】
本社は延喜式内社にして、俗に岩穴宮と呼ばれ、神社名は多祁伊奈太伎佐耶布都神社と云ふ。大古素盞嗚尊が八岐の大蛇を斬り給ひし時、用ひたる剣を祠ったのが神社の始りと云。祭神は素盞嗚尊、奇稲田姫命。後、日本武尊が穴海の海賊を討ち追って当岩穴附近に於て平定されし故に同尊を合祠してある。摂社赤濱宮は稲田宿祢命を祭神とす。此の洞窟全体が巨大礫であることが広大の楠見、今村両教授により発見された。
[神楽殿案内板より引用]

【上原谷石灰岩巨大礫、広島県天然記念物】
赤色の凝灰岩質礫岩の上に、驚異に値する巨大な石灰岩塊(高さ30m、幅33m、奥行35m以上)があり、この岩塊の下部はほら穴となり、天井から鍾乳石が垂れ、下から石筍も成長しています。このような巨大礫がここに存在するのは、この上の穴迫に移動してきた石灰岩の地塊の一部が崩壊し転落したものであろうと推定されています。
ほら穴には、多祁伊奈太岐佐耶布都神社(岩屋権現)が祀られており、原始信仰の名残りをとどめています。
[境内案内板より引用]

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