目一杯に広がった六十五センチがとても大きく映った。店はあれど特に入るような場所が無くて困る。やはり知っているのだ。細かくは違えど、ここは私の既知の縮図に過ぎなかった。ならば明日は映画を観ようと決めた。そうこうしているうちに街をぐるりと回りきった。
足もいよいよまずいとなって、目ぼしい純喫茶に入った。これがふっと口角が上がるくらいに面白かった。賑やかな店頭を横目にまだきれいなビニール傘を畳み、少し急な階段をとことこ登る。緑の床とカーテンに、モノトーンのテーブルセット、だからステンドグラスを模したスタンドライトが妙に浮く。そして時計だ。鐘時計がいくつか並んでいて、よくあるゴーンという音と、ボロボロとパッドのような電子音をかき立てる。ええと、七、八だ。大小の鐘時計が規則正しく交互に八個並んでいる。実用性もなければ、絶妙にセンスもない。これだ。あらゆるものセンスがない。その塩梅が絶妙で面白い。BGMはディズニーのようにやけに荘厳で落ち着かないし、照明は所々海鮮居酒屋みたくガラスの浮き玉になっている。ウエイトレスはちょっぴり訛っていて、お手洗いは乙姫と便座クリーナーはあるのにウォシュレットがないだの、水圧が弱い、つまみは触るなと個体値を詳細に伝えてくるだの、厚かましいユーモアにちょっぴり目を伏せたくなる。そのくせ珈琲はおいしい。私はカフェ派なのだ。違いはコーヒーと珈琲。これですべてが表せてしまうので、出来のいいTシャツみたいで嫌だ。なのにだ。素敵に違いない。
重く曇っているので暗くなるのが早い。でも帰らなくていい。これがアドバンテージ。昨日が目まぐるしかっただけに、今日は実りに乏しい気分に陥る。思い返すと私はこういうのを望んでいたよう。下半分を中心に肉体はどっとズタズタだが、実は心はずっと軽やかだ。もう何が起こっても理想的なほどに理想的だ。私はもうどうなってもいいんだよ。
ずっとぬくぬくしていたから、雨で下がった気温はとても堪えた。更には水たまり、これが厄介だ。なんせ私は履き慣れた靴を履いているのだから。視界の悪い中、私の両足は勇敢に水たまりに飛び込んでいった。末端が冷えるのはいつになく厳しい。
試練はまだまだ続く。なんだろう、思い出したかのようにお腹が空いてきた。早いうちにご飯にしたかったが、財布が小うるさいのでもう牛丼でもと思っていた。しかし侮るなかれ、駅から外れていた私の周囲にはチェーン店はおろか、飲食店などほとんどなかった。どんどん体温は奪われ、空腹で体温調節もままならない。おそらく一時的に熱が出ていることだろう。少なくとも脳裏にはあのときの記憶がベッタリとこびりついていた。歩きながら飲食店を探すという器用をこなせなくなってきた頃だ。密かに目的地としていたネットカフェの周辺が、やんわり栄えていることに気づいたのは。そしてその中心に天下のイオン様が堂々と腰を据えていらした。そうか、オアシスというのはこれのことを言うのだ。瀕死状態の身体を引き擦り、なんとか滑り込む。かつてこれほどまでこのイオンの存在に歓喜した人間は、地元民の中にもそういまい。
ああうまい、何も喋りたくない。旨味が口から逃げ出してしまうから。空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。そしてオアシスというのに血液はドロドロになってしまいそうなこの矛盾。いいんだ、雨に打たれてたくさん水分を摂ったから。
みんなぁ、マクドナルドのMはなん
のMかな?はい、ドラッグのMなのさ
一発決めて少しクールになった。まだ足は痛むが確実に楽にはなった。しかしあまりに早いので、人のいないトップオブスーパーを控えめにぶらついた。まあ平常運転。地方だからと態度を変えない姿勢にはとても好感が持てる。あと小さいながらも映画館が、レゴブロックみたいにひっついていた。良かった映画が観れる。しかし駅からは随分歩いた。バスで来るにせよ障壁には違いない。おまけに、同時に上映できるのは三つまで。上映スケジュールも公共交通機関も余白が多くて、噛み合わせにも骨が折れることだろう。私の信じる究極の総合芸術がこんなにも棚の高いところに並んでしまっていますタツキさん。朝から少し重たい気もするが、太宰をモチーフにした映画を観ることに決めた。もともと縁のある土地らしいが、微塵も味わえていないのでせっかくだから。
三十分もすれば比較的しっかり回れて、あとはベンチでじっとしていた。直に薬も切れてきて、少し体調を崩しているのを感じた。でもまだ眠れない。眠りたくないし眠らない方が良い。だって酒は百薬の長で、私はその体質だから。
ロックンロールでサンバオーレな内装にしては早すぎる健康的な時間。サンバーストのIbanezがヘッドを折り曲げてまで迎えてくれた。どんと高い硬めの椅子に着くと、TVが記録媒体から海外のサッカー中継を呼び起こした。歳不相応な顔立ちのマスターは、癖の少ない酒が好きらしい。酒はもちろん、お笑いとか音楽とか趣味の話をした。彼もどうやらうねり道を渡り歩いて来たようで、思考の共感がいくつか見られた。いやそもそも、思考の話題が上がる時点で同族嫌悪は起きなければならないのだ。話の中で湧いた疑問をぶつけた。曰く削るのは睡眠時間しかないらしい。毎日、途方に暮れるような労働をこなし、隙間はもれなく諸作品を嗜むようだ。なるほどこれが若作りか。そんなことよりエステ経営との兼業だと。エステって。経営って。ぎりぎり並べないでくれ。あ、若作りか。
バーとか美容院というのは、嫌でも人の懐に入らないといけない。それが思考系の人間だと引き出しがみるみる増えていく。それはもう手入れが追いつかないほどに。こういう場所は占いなんかよりよっぽど有効的であると感じるのは男だけなのだろうか。あ、あと湯屋の薬調合師とかも良い。
そろそろ出ようかと考えだした頃、若い雰囲気を醸した格闘技好きの常連が入ってきた。バーはここから始まることを昨日学んだので、もう少し無理をしてみた。結果、格闘技の先っぽを右前歯で齧ったが、どうやらここの味付けは合わないようだ。名刺と一緒に快く送り出してもらった。
比較的都会に住んでいながら、ネットカフェは初めて利用する。恥じらいは、会員仮登録のデジタル小慣れ感で相殺してみた。対応は絶対バンドマンだった。男の髪の毛の長さと愛想のなさは比例するのだろうか。結局、ネットカフェの仕組みは分からず終いで、適当に寝て、適当にシャワーを済ませて、カラオケで遊んだ。まあ値段相応の宿ということだ。
5時半、とても素敵な笑顔でネットカフェを追い出された。冷えた空気にも少し慣れた。地面はまだ乾ききってなくて、朝露の匂いが心地良い。まだまだ雲はあるけれど、空も切れ切れ見える。空は藍と群青のマーブル模様。
住宅街はぽつぽつ明かりがついているのに、風を凌げるところはコンビニしか無くてつまらない。近くの公園に向かった。しかしでかい。また土地の余裕というやつだでかい。小鳥たちの場所取り戦争の渦中、私はなんとか唯一乾いていたベンチのある東屋を獲得することができた。こうなった以上高みの見物。激化する戦争は第二楽章へと向かうクラシックコンサートになる。バゲットにチーズ、そしてカベルネを持ってきたまえ。朝食にしよう。何?コメダはもう開いているだと。すぐに行かねば。かじかんで卵が剥けなくなる前に。果たして旅先において、開きたてのコメダに入る者がどこにあろうか。この男、ずばり飛行機泣かせである。
前に一度、小栗旬の太宰を見たことがある。演技の細かいことは分からないのだが、いわゆる、素人でもわかる、の典型例で、伊達に小栗旬では無かったのだと感心した。内心、トレースなのでは?なんて思いながら英世をキャッシュトレーへ置いた。館内はまさに小劇場という感じで、百席程度の座席シートにはなんとアルファベットも数字も打たれていないではないか。先着順自由席である。到着したのは開館と同時だったので選び放題だった。私を含めて5人。仕方ない。先述した立地にも関わらずアーリーショーなど正気じゃない。地域だの企業だの広告がだらだらないからスムーズで良かった。
かっと日差しが出てきた。歩く度コンクリートが軽快に鳴り、気温もほぼ適温。ちなみに足の痛みはデフォルトだ。こんなチンケな距離さえバスで移動したいと思うくらいには痛い。これらを庇って無意識に変なフォームで歩いてしまうのを、都度矯正しなければならない。しかし直せばウィークポイントがダイレクトダメージを受けるので、症状悪化の可能性も考えられる。でも汚いフォームだと疲労が溜まりやすくて、新ウィークポイントが発現しかねない。なら前者だろうと痛みを耐え忍んでいるのだ。そこまでしても私が歩くのは、何も見過ごしたくないから。
妙にシャレているせいで住宅ではないことしかわからない建物が、決まって美容院であることは、どこに行っても変わらないらしい。こっちに来ていくつ目だろうか。灰一色の建物に書道のようなタッチで店名が示されている。隣にも細かく何か書かれていて、おそらくメニューなのだが、無駄に車線の広がった大通り越しでよく見えなかった。
今日の昼食はそこで済ませた。無理して歩いて良かった。
もうそんなに時間は残されていない。特産品を使ったお酒とお菓子を求め、駅周辺を練り歩いた。もうこの辺りはなんとなく地理を把握しているので面白いものだ。結局三か所も周って、バッグのストレージはギリギリだった。お土産ほぼ持って帰れないのではないか、という昨日の杞憂は儚く散った。バスが来るまで時間があったので、お土産を一つ食べてやった。
流行りのポップスがそうであるように、旅行記にも一度使ったフレーズを使い回す文化を取り入れればいいのに。夜の飛行機からの景色ばかりはさすがの私も喜ぶ。もし私が向こうの住民だったらこれを見て、どんな言葉を選び、そしてどこにアクセントをつけるべきなのだろう。ボコボコと凹凸のある街群はもはや光る山肌、ゲーミングマウンテン。オレンジの皮でも擦りおろしたくなってくる。嗄れたレモンは一体どうなっているだろうか。
私の頭はゆっくりと日常という概念を思い出していく。人混みの交差とか、ICカードの利便性とか、あれほどバス代を節約したにも関わらず予算が一万円半過ぎてしまったことは、その反動に忘れてしまおうと思った。それに思考を張り巡らせば、一万円半安く済むよりよほど良いものだ。帰りに今日出たハンターハンターと逃げ若を買って帰る。どうせなら向こうで買うのもオツだが、入荷にずれがあったようで断念したのだ。誠に不躾で、べらぼう大層恐れ入るが、冨樫が身体中ギシギシ鳴らして筆を走らせるのは、私が歩いてきたのと構図は同じなのかなと、思い馳せさせて頂きました。
見慣れた都会の大迷宮に身を置くと非常に落ち着く。ああ、間に合わないと一本見逃した途端、矢継ぎ早次の電車がクールな顔して安心感を連れてくる。コンビニエンスヴィーガンもたかが3日、思想の芯がブニャブニャにふやけてしまっていた。愚かな愛嬌、若さ故の脆さ。どうせスマホ、PCが無かったら何もできないんだ。ええ、そうですとも。ちょっと待って、私の場合は顕著が過ぎやしないか。
普段から使わないので、まともに湯舟に浸かるのは非常に久しぶりだ。体の疲労は極限状態だから、その気持ち良さを表現するのに、文字には荷が重過ぎやしないかと心配だった。それが、案外すんなり。毎日風呂に浸かっているのではないかと疑うほど、自然体の入浴である。旅行記を書く。スマホが曇ってしまうので窓を開けた。気持ち良い風がペコリと挨拶をした。
この旅行記にまとめはいらない。この旅はガス抜きだから。何か得る為のものじゃない。時間を失う為のもの。そんなことを考えている内に、私は深い眠りに落ちた。湯舟の蓋は半分だけ閉じてテーブル代わりにしていたのだが、その甲斐も無く、スマホは私とともに湯底に深く落ちていた。
次の日、少し緊張気味にスマホを起動する。何事も無かったかのように動く。また一人、現代社会からコンビニエンスヴィーガンが減少した。