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アクタバ旅行記① ※お読みもの

アクタバ旅行記① ※お読みもの

辞書みたいに分厚い布団を被っていたものだから、朝の冷気は堪えると思った。こんな時間に起きるのはいつぶりだろう。なんせいつもはまだ起きている時間だから。四と五のちょうど中間と、ぴったり六を同時に指す掛け時計からしてみれば、寝起きの私に久しぶりという感じだ。ふむ、良く寝れたかい?なんて余裕もありそうに感じる。
 普段よりも優しい気持ちでヘアセットをする。ヘアリキッドなんかも揉み込んだりして、ほんのり柔らかかった。相反して、カミソリは違った。同じ時間を過ごすほど刃をこぼしてヒリヒリとするのは、愛みたいだと思う。愛の全貌は知らないけど。顔にぽつぽつとできた赤いのを押し広げたら、少し見えたりするのかな。
 歯磨きは後だ。ご飯くずを歯に引っ付けたままじゃあ、足取りも重くなるから。豆腐と海苔の佃煮、そして米だ。ああ、まさに日本の誇るご飯くずという感じ。嫌ほど透き通った水道水を流し込み、キーボードをタッカタッカ鳴らす。使用頻度の高い電子機器類を、よく準備の整った色気づいた鞄にそっとしまい、上着で少し悩んだ。
 気づいて、後でフリスクを買った。
 ガチャリ、まろやかな朝。上の方がくすんだ群青色になっていて先端にかけて、ふわり黄味がかる。適度に散らばる淡くも芯の通った雲々が、今風だなと思った。静かで香りがいい。すでに旅先にいる気がするのは、地元の知らない部分を覗いているから。まあ旅っていうやつもそんなものだったりするのだ。
 まだ寝ぼけ眼な列車を、可愛らしいななんて思いながらすこし弾む。まだギリギリ座れる。鞄一つで出てきたものだから、傍から見れば私は遠いところに通う、親孝行な大学生だ。今日はサークルとか何かの特別な事情があって、一限目以前に用をこなす必要があるようだ。責任に押し潰された肩甲骨を眺めていると、背筋が伸びていた。彼は勇敢に日常に努めるというのに、私は臆病にも非日常へ飛び出す。背筋が伸びることは、果たして良いこととは限らない。硬そうな衣服やら鞄やらを柔軟に動かす人々の中で、フニャフニャの私が揉まれていて絵になる。これは私にしか見えない絵画である。これをSNSに投稿できたら、たくさんいいねがもらえるのに残念だ。電車通学はしてこなかったが、もう随分ごちゃごちゃのダイヤグラムにも慣れてきた。いよいよいい歳である。言いながらネットの教えてくれた予定表からはどんどん遅れを取ってしまうのだが、まあみんなそんなものだろう。遅れなければ早起きも仕損ずるのだよ。行き先に空港の文字が見えて初めて実感が湧いた。幼い頃の冒険心がゆっくりと立ち上がりかける。先程と打って変わって静かな車内は朝にぴったりで、そしてその未来的な何かは妙に似合わなかった。
 私の賢い頭は、修学旅行っきりのその景色を見た次に、取り返しがつかないことをご理解なさった。そして、学生集団が忙し賑わいの空港を散策すれば見当もついたように、新鮮無垢なそこを足の裏から味わわれた。ぜひ舌の上でも味わいたかったな。「いや違うよそうじゃない。」赤子でも孕んでいるかのように優しく語りかけた。なるほど風間俊平がはしゃぐわけだ。でもマイルを貯めたくはならなかった。展望とは少し背伸びなデッキは、それなりの見応えがあって、爆音を立てる飛行機の静止画がまさにクロマキー合成みたいで迫力があった。そうか私はこれに乗るのだ。「技術」と思った。しかし、技術で圧倒すればいいというもんでもないんだぞ、と心のなかで説き伏せてやった。ハッとして保安検査場に急ぐ。金属探知のゲートは少し緊張する。そうでしょう?ゲートの奥には背格好の似た紳士が二人。漏れ溢れる覚束なさに、恥ずかしいぞ、と第三者である私から教えてもらった。見てろ帰りこそ。搭乗口に近づくに連れて高揚は高まって、尿意が迫って、息苦しくなっては来なかった。ああ、あれかな。それは、先程デッキで聞いた轟音はいかにも鳴らせなさそうなコンパクトな君だった。両翼についたぷろぺらが愛らしくてくりくりしてやりたかった。
 最後の搭乗券の認証に少し手こずって席に着くと、窓越しにぷろぺらさんが座ってた。あ、隣だったんだ。もう片方の隣も埋まってエンジンがかかり出す。プロペラさんも怒っていたかのようにブイブイと回り始めた。それはそれは気まずい思いをした。滑走路が見えてやっと、私の心は踊りだした。USJとかディズニーみたいなそれとは違う。うまく説明できる気がしないが、命が懸かっているというスリル。例えばそういうところでは、せいぜい夢から叩き起こされるような程度だが、こっちはそうも言ってられない。なんせ真面目さが違う。同じところと言えば、キャスト(整備員)が手を振って送り出してくれることくらいだ。厳密に言えば、手の振り方から違うのだが。もっとこう陛下のような。予告なくズズズと機体の速度は上がり、体にいくつかGがかかる。デロリアンに乗ってしまったのかと思ったが、あれはもう過去の思い出になったんだった。
 私は今、空のBBで切り抜かれた。もう慣れたものだが、周りの人にはどうなのだろう。やはり、さぞ風味が悪いのだろうか。雲を越えて、現代生者たちを見下ろすと、これまた貼り付けたようだった。
 そういえば、電車からそうだ。知らない駅に着いた途端に乗る線は間違えるわ、乗り越し清算させられるわ、空港に着いてからはチェックポイントごとに優しいご指摘をいただくわ。いい歳になったから恥じることを覚えたのにだ。ほら、荷物は前の座席の下にいれるらしい。ごめんなさい。特にデジタルで手惑う若者ほど見苦しいものはない。ご老体のお背中がひん曲がる分、若者がしゃんとして均衡を保たねばならないのだ。もはやここまで色々世間と間違うのは、私の日頃の活動が功を奏しているというものだ。人間らしさが無くて心地がいい気がしてきた。
 いつもは小さく見える飛行機がとてつもなく大きくて、見下ろしたビル群はミニチュアみたいで艶がかっていた。朝露にでもさらされたのかな。視神経がぐらりと混乱を起こして、私のくだらない夢まで大層なことに思えてくるではないか。そして小さな空がそうであるように、遠景というのは青くぼやけてしまう。今見ている光も随分遠くから来ているようで、山と海と空とが入り混じっているようだった。地球がこの三つで構成されているのだとすれば、私は今地球を見ている。今だけだ。私の大層な夢が宇宙になる。帰ったら、そんな絵を描こうと思った。
 先端を雪で覆った連峰が見えてきた。ずっと小さく見えるのに、ここでは日差しに焦がれて眠ってしまいたい。全く不思議な体験をしている。周りが騒がしくなり、カメラが瞼を切りまくった。分かってないな、使い荒せばデジタルとは思いたくないだけだ。乗りこなしてこそ引き算なのではないかと気取ってみせた。飽きもせず凹凸を繰り返す山肌を見ていると、レモンの皮でも擦りおろしたくなってくる。グレーター欲しいな。貰ったレモンも嗄れてきてしまったし、ついでに貰ったかぼちゃはそろそろ熟れてきたろう。昨日は珍しくお菓子を作った。本当に腕っぷしというのは気付くと衰えて、私に相応しくない。毎度、修行のようにお菓子を作る年末。動画制作に勤しんだ今年のレパートリーで、どう勝負しろと言うのか。パートシュクレから練り直しだ。(※パートシュクレはグルテンの形成を防ぐため、なるべく練らずに作りましょう)活字になるとボケも冴えなくて参る。(※普段から冴えておりません)こうして弁明する度に味がしなくなっていく。伊坂幸太郎の凄みを思い知った。(※ちゃんと読んだことはありません)おい、そういうことは言うもんじゃない。
 こんなだだっ広い空の中で日常の些細な事象に目を向けるのは、いささか映えない。朝方から点在していた雲々は、いつしかイワシ雲になっていた。
 着いてしまう。いや予期せぬ事態だ。ほんのり冷えた空気が鼻孔をくすぐる。やめてくすぐったい。空はさくさくと晴れていて良かった。それくらい。何もない。何も無いのでバスも時刻表も無いのかと思って通過したことは、この旅一番の笑い話になることだろう。用を足したのか、時間ぴったりで戻ってきた運転手は無線を通して、どこまでも渋く甘く囁いた。いいやきっと喉のケアをしてたんだ。このまま快眠まで運んでいただきたい。ところで本当に高い建物がない。なんならxy座標に至っても無駄や余裕に溢れてる。見覚えのあるアイコンとか色調が見えると、安心感とともに同等の幻滅がある。どうやら夢の見過ぎらしい。お客さん起きてください、終点です。その蜂蜜の溶け込んだダージリンのような声は私を気持ちの良い目覚めに導いた。
 百戦錬磨の都会っ子だというのに電車の乗り方からどうしたものか。車両もいくつか足りないときたし、本数が少なく時間が合わない。心が広くなりそうだ。少しして、列車は悲鳴を上げながら走り出した。伸縮自在の連結部分を見ていると、さながら悪夢のアコーディオンだ。しかし周りを見るとすました顔が並んでいて、やっぱりこうでなくちゃとも言いたげである。不便なことがあると、人は寛容でそして強くなるのだ。我々は、技術の進歩により、ポテンシャリティの退化を促しているのではないのだろうか。企業家よ、今こそ座り込む時だ!!そんなことよりみんな喋り方が独特で聞き心地が良い。私もこの三日で訛りを習得しようと思う。あの運転手には敵わないけどな。お土産にボイス録音させてもらおうか。そして反復練習するんだ。
 みんな偉い。スマホも触らないで列車の悲鳴子守唄に眠ってるんだから。え、トイレがある。車内にトイレがある。用もないけど入ってみようかな。トイレで足し算しようかな。わっさわっさ揺れてる。こぼれてしまうのではないだろうか。いやこんなところで好奇心をくすぶらしてちゃ先が思いやられる。そんなことを思っていると不思議と尿意が湧いてきた。見よ企業家よ、これがポテンシャリティなのだ。
 中心地ともすると、意外と駅がどっしりしてるから雰囲気湧かないんだよな、と思ったら外はすかすか。過言だけど人も車もほんとに少ない。そして道が広い。もう横に寝そべって歩けるほどに広い。目的地にはもうひとつ乗り継ぐ必要があるのだが、なんせ怠惰な線で、こんな日照りに一時間もの昼休憩を頂いたので、存分に、少し離れの食堂へ向かった。入りにくい店とはよく言うが、物理的に入りにくいのは初めてで戸惑った。車と車の間をするりと抜けて金色のドアノブに手をかけた。カランカランと鳴るアナログなベルは、一度に店内中の注目を浴びるみたいで少々気恥ずかしい。ハンドメイド感の漂う店内は、さすが穴場、というような温かみがある。奥行きの足りなさそうな壁向きのカウンターに座り、手書きのメニューを眺める。太陽は放物線のピークを過ぎ、テーブルにはちらほら食べ残しとともに汚された食器が置いてあった。それなりに空腹感はあったし、まだ若い類だし、多少のボリュームは問題無かったが、せっかくだから色んなものを食べようと意気込んでいたので、軽めの野菜炒めを頼んだ。案の定軽くはなかったが、シャキシャキのびちゃびちゃでのどごしが良いのが幸いだ。牛丼屋ばりのそそくささで店を出る。会計の店員の視線のエイムがあまりに綺麗だった。
 駅員の粋な計らいもあって、なんとか狙いの電車に飛び乗った。後から思えば、電車を一本逃すことの重大さを知っているからか。粋な計らいは境遇の生んだ必然ということだ。やっと旅らしくなる手前、これが最後の電車だ。規模の可愛らしいそれは、私を待っていたかのように間もなく走り出した。
 え、なんて言った?聞いたことないぞ。私はそれなりに記憶力のいい方だと思う。要するに検索履歴に無い駅だ。疲れというのは知らないうちに溜まるもので、優先座席に座っているという罪悪感も虚しく、私は穏やかな眠りについてしまった。しかも県境を跨いで、隣県まで飛ばされているではないか。これが俗に言う島流しか。普段なら向かいの電車で引き返せば済む話だ。しかし不便を侮ってはいけない。何を隠そう私の降りた駅は、いわゆる無人駅。
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